定 義 山 ツ ア ー
開祖ともいうべき、肥後守平貞能公は、平重盛公(内大臣、小松殿)の重臣でした。
貞能公は、平家が、壇ノ浦の戦いに敗れた後も、平重盛公より託された阿弥陀如来の御霊像をまもり、源氏の追討をのがれて、この地に隠れました。
ここにおいて貞能公は、なおも世をはばかり、名を「定義」と改めました。この地を「定義」、阿弥陀如来様を「定義如来」と呼ばれる由縁です
貞能公は、建久9年(1198)7月7日、御年60歳を以てお隠れになり、そこで従臣達は貞能公の遺命を奉じ、公の墓上に小堂を建て如来様の宝軸を安置し守りました。
宝永3年(1706)、従臣の後裔早坂源兵衛が、自ら出家し「観蓮社良念」と称し、「極楽山 西方寺」を開創されました。
貞能公は、平家が、壇ノ浦の戦いに敗れた後も、平重盛公より託された阿弥陀如来の御霊像をまもり、源氏の追討をのがれて、この地に隠れました。
ここにおいて貞能公は、なおも世をはばかり、名を「定義」と改めました。この地を「定義」、阿弥陀如来様を「定義如来」と呼ばれる由縁です
貞能公は、建久9年(1198)7月7日、御年60歳を以てお隠れになり、そこで従臣達は貞能公の遺命を奉じ、公の墓上に小堂を建て如来様の宝軸を安置し守りました。
宝永3年(1706)、従臣の後裔早坂源兵衛が、自ら出家し「観蓮社良念」と称し、「極楽山 西方寺」を開創されました。
今日は、赤井デイサービス、ケアハウス&有料老人ホーム一緒にツアーを行いました。
車両4台、定義館の職員さんから、凄い人数ですねと、びっくりされました。
ケアハウス、赤井デイサービス編
まずは食事から。まだかな~~。
さあ~~食べるよう~~。 |
この蕎麦、普通盛りです。凄い!! |
滝のようなそばです。 でも、完食。 |
私は、これよ。 |
買物コ~~ナ~~
何にしようかな~~。 |
いよいよ、参拝。
天気も良し。心がけも良し。
直立不動で敬虔に。 |
帰りま~~す。 |
***** 有料老人ホーム編 *******
出発前、緊張気味かな? |
食事を待ちます。
今日は息子さんが一緒です。 お母さん、嬉しそう!! |
食堂は一杯。 この半分は、「花いち」の方々でした。 |
定義館全景です。 |
さあ~~買い物だぞう~~。
これ、いいんじゃない。 |
五重塔の前で皆さん撮影。
ご利益ありますように。
五重塔を背景に、鯉に餌を与えています。 |
綺麗な、庭園です。 |
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